気付けば4月も中旬となりまして、暖かい日差しが気持ちよくなりはじめました。。

働き始めてもうすぐに1年になるわけですが、ここで自分の就活を振り返ってみたいと思います。というのも、昨日後輩の女の子から就活の相談の連絡を受けたのです。相談に乗るために当時を思い出してみたのですが、思い出してみると散々で酷いものだった自分の就活を、ここで少し吐き出してみます。
昨年5月頃までは当時を思い出すと死にたくなっていましたが、やっと死にたくならない程度まで来たので、少しだけ区切りとして、書いていきます。
 
当時、(今もですが)全く将来のことを考えられなくて、とりあえずどこかに就職をしたいという漠然とした思いで就活をしていました。これは一番ヤバくて早くに決まらないパターンなのですが、根拠のない自信を持っていた私は、ふわふわした思いで就活をしていました。
 
根拠のない自信、これが一番厄介で、下手にプライドが高いと更に厄介です。悲しいことに両方持っていた私は悉くお祈りされ、鬱々としながら毎日を過ごすこととなりました。
 
早い子たちは6月には就職を決めて、学生生活をエンジョイしはじめます。ここで第一段階の焦りが来ます。そしてエントリーを増やします。しかし増やしてもそこまで熱望してる企業ではないので、エントリーシートを出さない、もしくはやっつけなエントリーシートを出してお祈りされる、というパターンです。
 
そして夏、大手は内々定を出し始め、これに漏れてしまった自分は売れ残りなんじゃないか、という意識が芽生えます。この頃から本当に精神が参りはじめまして、初めて親に泣きながら電話したのもこの時期でした。
 
そこからはもがくように地元の合説に行ったり、ハロワの求人サイトを毎日覗いたり、大学に来ている求人票を見てみたりしました。
そんなところで確か11月頃、私にも内定が出ました。
 
しかし、この内定が出た企業がなんとなく応募してなんとなく面接したら受かっちまったという企業で、もともと興味のある企業という訳でもなく、このままで良いのだろうか。もっといい企業があるんじゃないだろうか。年末が近づいているというのに私の就活は更に泥沼化していきました。
 
そして11月半ば、これで最後にしようととある企業に応募することに決めました。待遇も申し分なく、ここで働ければと希望を抱いてました。
まあ落ちたんですが。
 
そんな感じで私の就活は不完全燃焼のまま終わり、今はなんとなく受けた企業に入っています。
幸い、長時間労働を強いるブラックでもなく、いじめてくる上司もおらず、職場環境は恵まれているほうだと思います。
ただこの企業というか職種の中でめちゃくちゃ嫌いな仕事があるのでそれが憂鬱なのですが…。
どうせ希望の企業に入れたとしても、嫌いな仕事や憂鬱なことは出てくると思うので、それはそれとして受け入れるしかないのかな、と思います。
 
これから就活をする人たち、今就活をいている人たち、自分がどん底にいるように思えても案外そうじゃないですよ。でも望み通りにしたいならば、根拠のない自信を持つのはやめて、根拠のある自信を身につけるべきだと思います。正直今でもここの職場で良いんだろうか、転職をすべきかということが頭をよぎります。
偉そうなことを言いましたがこれで〆たいと思います。
すべての就活生へ幸あれ。
 
 

コンビニ、わが闘争

会社での昼食は専らコンビニで済ますことが多い。
朝、早めに起きて弁当を作るというマメさだとか、安く済むとかいう経済観念よりも、もっと寝ていたいという気持ちが勝ってしまう。怠惰な人間なのである。
それでもおにぎりを二つくらい握っていけばコンビニで買うものはせいぜいスープ春雨などに止めることが出来る。申し訳程度の節約である。
しかし、主食と汁物だけではどこか物足りない。自分は夏バテする性質で、夏はおにぎり二つで済ませていたこともあったが、冬は何故か食欲が増してしまう。
なにかおかずになるものーーと目につくのが、レジカウンターの真ん中に鎮座するチキンや唐揚げである。
気にしたことはないが、こういったチキンや唐揚げは恐らく高カロリーの上、添加物がかなり入っていると思われる。しかしあのチキンや唐揚げの身体に悪そうな味が堪らない。
おにぎりとスープという味気ないラインナップに、少しばかり唐揚げという華を添える。それにお腹も膨れる。
そういうわけで、昼休憩にコンビニへ昼食を買いに行くと高確率でチキンや唐揚げを買うのだが、やや困ったことがある。
「チキン下さい」と言うタイミングである。
大抵の人は分かるだろうが、コンビニのチキンや唐揚げを買うのは会計の時だ。
ここでいかに、店員さんの流れるような言葉を遮らずに注文をするかーー。
ここで自分の何か色々なスキルが試されているような気がするのだ。
お昼どきのコンビニはまさに戦場である。
同じように昼食を買いに来た近隣ビルに勤める会社員、学生たち(近くの学校の昼休憩が12時半頃であり、これに自分の休憩時間が被ると店内で学生たちの波に揉まれるとこになる)、ふらっと買い物に来た人々ーーとにかく、お昼どきのコンビニは人で溢れかえり、それを捌く店員さんは必然的に流れ作業的なレジ対応となる。ここで断っておきたいのは、彼らのレジ対応を批判する意図はないということだ。あの流れるような対応は最早職人の域に達しているし、鍛え抜かれた店員さんにしか出来ない、ヒヨッコはここで死ぬとも思わせる勢いがある。
普段の店員さんと自分の流れはこうだ。
店員さん「イァッシャッセー」
店員さん「アタタメマショウカー?(この隙にカウンターに出した商品がスキャンされていく)」
わたし「イヤッ、イイッス」
店員さん「オハシトフォークドチラオツケイタシマショー?」
わたし「アッ…オハシデ…」
店員さん「ポイントカードオモチデスカー?」
わたし「イヤッ、イイデース…」
店員さん「258エンデース」
〜省略〜
店員さん「42エンノオカエシデース アィトーゴザイッシター」
さて、どのタイミングで「チキン下さい」と言うか。
大抵、ポイントカードお持ちですかの問いかけの後に滑り込ませるように言うことが多い。「あっ、あとチキン下さい」と。さも今思いつきましたという風で。
実際は店内を物色している最中にチキンを買うことは心に決めている。
しかしカウンターに商品を出した途端に「チキン下さい」とマウントを取るのもどうかと思うし、会計が終わりこちらに金額を提示した後で追加で頼むのもどこか心苦しい。
だから店員さんが金額を提示する前になんとか注文をしようとするのだが、タイミングが難しい。見誤ってしまうと金額を告げる店員さんの声と被ってしまい、微妙な空気が流れる。
つまりレジカウンターに商品を置いた時から、戦いが始まっている。
いかにこの会計をスマートに終わらせるか。
店内さんの先攻、繰り出される攻撃(質問)に防戦一方の自分。しかし、一撃を決めなければ、チキンを買うというミッションは達成されない。
いくらスマートに終わらせたとしても、チキンを買えなければ意味がない。試合に勝って勝負に負けた状態である。
時折、一撃を決められず、スープのみを買って帰ることもある。攻撃を防ぐのにいっぱいいっぱいで、闘志が失われ、勝負を放棄してしまった時だ。
最終的に余計なカロリーを取らなくて済むので結果オーライという気もするが。
これからコンビニに行く限り、この戦いが続くのだ。いかにスマートにチキン下さい、と注文するのか。店員さんと、それと自分の少しばかりのかっこつけたさとの戦いである

ルノワール展、マッギンレー展

去る先週末、東京にパパッと行って参りまして、友人に会ってきました。

友人は舞台役者をやっていて彼女の出演している舞台を見てきました(この話もおいおい書きたい)
舞台までの空き時間、美術展を2つ見てきました。
まずは国立新美術館で開催中のルノワール展。
f:id:iwm49pr:20160716193558j:image
「色彩は幸福を祝うために」このキャッチコピーとってもすてきだ・・・。
ルノワールは「幸福の画家」とも呼ばれているそうなんですが、《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》をはじめとした人物画をみてみると、「幸福」が最もふさわしい形容詞であるように思えます。
 
やはり大きな目玉はポスターにもなっている《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》。なんと日本には初来日。さらに《ピアノを弾く少女たち》《田舎のダンス》《都会のダンス》も展示されています。正直、これら1点だけでも目玉に据えて1つ展覧会ができそうな勢いなんですが、これだけの大物クラスの作品が1つの展覧会に集結しているのは奇跡としか言いようがありません。
 
私がルノワールの作品で好きな表現が光の表現です。

f:id:iwm49pr:20160716201926j:plain

1876年《ぶらんこ》オルセー美術館所蔵
例えばこれ、ぶらんこに乗っている少女の白いドレスがまだら模様になっています。輪郭線はぼかされ、微妙な色の重なりで濃淡や光を表現しています。
ルノワールやモネ以前の写実主義の画家からすれば、荒い筆致やまだらな色彩は考えられないものだったのだろうと思います。まさしく「印象」を描いたものだと。
しかし見たまま「印象」を描くのだから、このような表現になるのです。
理想化された美よりも、眼で見たそのままを映し出そうという絵画表現がまさしく印象派なのです。
 
ちなみに私は写実主義を嫌っているわけではないです。時代の要請が(この書き方はあまり好きではない)、印象派に追い風を与えたんだろうと思っています。
うーーーん・・・このあたりもまたしっかりと考えて文章に残したいです。
 
続けて行ってきたのが東京オペラシティアートギャラリーにて開催中だった「ライアン・マッギンレー展」。
f:id:iwm49pr:20160716193606j:image
 この、赤い草原?に横たわる裸体の人物の写真がどうも気になって、展覧会に行ってきました。いま最も重要な写真家、とされているみたいです。
 
彼の写真は色鮮やかで、絵画のようにどこか現実離れしていて、夢に出てきそうな写真でした。なんというか、実在の場所で実在の人物を撮ったことは自明なのですが、色彩、シチュエーション、構図あらゆる要素が絡み合って、夢に出てきそうな現実味の無い写真になっているのです。
今までに出会ったことのないタイプの写真家だ・・・と思いました。
すごく面白いです。
 
そういえば以前はノートに展覧会の記録を書いていたのですがめんどくさくなってだいぶ溜めてしまっている・・・。これからこのブログに書くことにしようかな。ついでに過去に見たやつも思い出しつつ書いていくかも。
 

おばあちゃんが退院した

おばあちゃんが退院した。
入院したのは2週間前で、軽い脳梗塞での入院だった。幸い軽い段階であったので、点滴治療で済んだけど、今も少しだけ後遺症が残っているらしい。

入院すると決まった時は上の空で仕事をしてしまい、何をぼやぼやしているんだ…とめちゃくちゃに落ち込んだ。ぼやぼやしてしまった自分にも腹が立った。
おばあちゃんはたいへん働き者で、洗濯や料理から、家の周りの草刈り、育てている野菜の収穫まで行っていた。でも、少し後遺症が残っていることもあり今まで通りにバリバリに動くことはできない。

私が本当に恐ろしいと思っているのが、全く動けなくなってしまって殆ど寝たきりになって、そのままうつや認知症になって、周りのことが分からなくなってしまうこと。今年の春に亡くなったおじいさんのように。

幼いときはどこかで、このまま変わらないのだと思っていました。
しかしおじいさんが死に、おばあちゃんもこのようなことになって、変わらないものなど無いと打ちのめされてしまった。うつや認知症になったあとでは、ましてや死んだあとでは何もしてやれません。
ちょっとナーバスになってしまったのですが、今してあげたいと思うことはやれるだけやりたいです。本当に。

夜の眠り

へとへとの6連勤を終えてやっとの休日も終わろうとしている。6連勤ラストの日はミスを連発してしまって、教育係の上司も呆れ気味のようだったな…。
明日行きたくないなーーーと思いながら勉強部屋(私の実家には寝起き出来るような自室はなく、高校時代からは2階の小さな部屋を勉強部屋として与えられていた)に荷物を取りに来ると、大学の卒業式で貰った色紙が目にとまった。
そこにはお世話になった指導教官からの言葉も記されていた。

La notte porta consiglio.

イタリアの諺で、「一夜明ければ良い考えが浮かぶものだ」と訳されることが多い。

私は何か追い込まれてしまうと、その状況をどうにかしなくては、早くこの状況から脱しなくては、と考えてしまい、余計袋小路になってしまうことがある。
そういった時には判断力が鈍っているため、まともな決断を下せないことも多い。
きっとそういう時こそ一旦立ち止まって、冷静に考えることが必要なんだと思う。
立ち止まるのが一晩で済むのか、それ以上かかってしまうかも知れないけれど、考えるのをやめてはいけない。
この言葉を貰って2ヶ月足らず、やっとその意味を飲み込める気がした。

ついに

私にもマイカーがきました。中古だけどミラジーノです。
どうでもいいんですが免許取るときにMTで取ってたのでAT殆ど乗ったこと無いんですよね…でも圧倒的にATが運転しやすい。
とは言うもののペーパー期間が約2年間あり、運転に不安しかないです。更にビビりなのでモタモタしそう。右折するときに立ち往生すること間違い無いっすね。

今日はエンジンかけてちょっと発進してちょっとバックしただけです。亀の歩みかよ…。町内を運転したかったですけども、最初は隣に誰かいてほしい…。無理…となり断念いたしました。あとハンドブレーキ下りなくて焦りました。暫くは自動車学校の運転教本を車に積んどきます。

しかしGW明けにはなるべく車で通勤したいので、それまでに慣れないとですね〜慣れるのかな。

休みの日には車乗って慣れるようにします…^ - ^

黒の掟

個性が殺される瞬間は悲しくなる。
就活の時からそうだったのだが、やれ前髪を上げろだの、茶髪NG黒髪絶対主義、ナチュラルメイクで黒いリクスーなど…マナーという枠に当てはめて、皆同じ格好をしている。

新卒はまっさらな状態だから、そこに自社のルールを刷り込みやすいと何処かで読んだ。マナーと称して髪型や服装を画一化させて、「恥ずかしくない」言葉遣いや立ち振る舞いを叩き込む。

何が言いたいかと言うと、同期入社の女の子で、茶髪ハーフアップの似合う華やかで綺麗な女の子が居た。彼女は研修の段階で茶髪とハーフアップであることを指摘され、黒髪一つ縛りにしてしまった。
以前の彼女の髪型はとても似合っていたので、わたしは少し悲しくなったのだ。

社会出たての小娘が何を言っているんだと言われるのは重々承知であるが、率直に言ってクソだな〜と思ってしまった。
しかし身なりに厳しい会社に入ったのは自分なので、郷に従うべきであろう。

新年度早々愚痴みたいな内容でごめんなさいね。今は普通に元気です。